BIR: きみは赤ちゃん / 川上 未映子
きみは赤ちゃん - 川上 未映子
- amazon: きみは赤ちゃん
あらすじ
※ Amazonより抜粋
35歳ではじめての出産。それは試練の始まりだった! 芥川賞作家の川上未映子さんは、2011年にやはり芥川賞作家の阿部和重さんと結婚、翌年、男児を出産しました。つわり、マタニティー・ブルー、出生前検査を受けるべきかどうか、心とからだに訪れる激しい変化、そして分娩の壮絶な苦しみ……妊婦が経験する出産という大事業の一部始終が、作家ならではの観察眼で克明に描かれます。 さらに出産後の、ホルモンバランスの崩れによる産後クライシス、仕事と育児の両立、夫婦間の考えの違いからくる衝突、たえまない病気との闘い、卒乳の時期などなど、子育てをする家族なら誰もが見舞われるトラブルにどう対処したかも、読みどころです。 これから生む人、すでに生んだ人、そして生もうかどうか迷っている人とその家族に贈る、号泣と爆笑の出産・育児エッセイ!
感想
賞もたくさんとってらっしゃる、榎本俊二先生のエッセイマンガとかにも度々登場される方、一度しっかり読む機会を設けなければならないと思い続けて十数年、ようやく!!!!! 乳と卵や黄色い家もあるけれど、「まずはエッセイから読もう」と、なり、これから読んだ。 面白かったなあ〜。エッセイ好きだけど、正直小説家大先生(壮年の男性作家)のご講釈は読んでるうちにむかっ腹たつんだよな、という気持ちのときにまじでピッタリ。 小説家代先生ってやっぱ壮年男性が多いから、エッセイだと「うっせー」がきちゃう時ってあるのよねえ(´・ω・`)”
テンポのよい語り口、五里霧中なんだな育児という知らしめ、みなぎる緊張感、そんな中でもくすっと笑える楽しさ。 そういや学生時代いつも色々な本を紹介してくれる友人が、エッセイから紹介してくれる時があったなあということを思い出したりした。こういう作者の色とか作者自身を知ってほしいみたいなときはエッセイからおすすめするのもひとつの手ねえ(´・ω・`)”
自分は出産経験も無い人間だが、こんな感じなのね……多くの友人や知り合い、家族、世界中のたくさんの女性が同じような経験をしているのかと思うとやばない!?ってなりました。 無痛分娩の病院増えろや?!!?は、本当に思う………なんで基本は痛い思いする前提やねん、馬鹿かよ。私の知ってる経産婦たちすごすぎかよ、一等賞やで(´;ω;`)痛い思いしなくても確実に一等賞なんやぞ!!!プラスアルファで痛い思いさすなどつくぞ、まじで。 経口低用量ピルでさえあんな難しかったんだからまぁあと20年は無理かなと悲しい気持ちに……若者に同じような思いをしてほしくないわねえ!!! がちで意味わからんおっさんに牛耳らせるのやめろぶっつぶすぞという気持ちを新たに持ててよかったです。
- 知らない生活・知識など、知りたい
- 共感を覚えたい みたいなこの2本柱どっちから入るか?みたいなところがあると思う。今回のこのエッセイは子育て・生むに関しては1だったけど、全体的に2だったなあみたいな一粒で2度美味しい読み物でした。 乳と卵も買ったしまた読もうっと(´∀`)
ハイライト
- P. 36 [心はまんま思春期へ]より
- 「エルバビーバ」というオーガニックのブランドのものをつかっていました。
- エルビーバ、おぼえとこ(´・ω・`)”
- 「エルバビーバ」というオーガニックのブランドのものをつかっていました。
- P. 67 [産みたい気持ちはだれのもの?]より
- でも、ある人が、「50歳で子どもがほしいと思って、実現できる状況があったのでそうした」ことと、「たくさん障害をもって生まれてきて手術で痛い思いをする子どもがかわいそう」という共感と現状のふたつには、やはり何の関係もないと思うからだった。 〜略〜 動機と結果のこのふたつは混同されがちなんだけど、はっきり、べつのものだと思う。
- P. 68 [産みたい気持ちはだれのもの?]より
- だから、「生んでもらった」「生んでくれた」「生んであげた」みたいな欧州というか定形みたいなのを、もうそろそろやめたほうがいいんじゃないのかな、とテレビをみていて何度も思った。
- P. 69 [産みたい気持ちはだれのもの?]より
- 生まれてきたあとの子どもにたいしては、それはもう、どこまでも細心の注意を払わなければならないと思う。どこからが自分のことで、どこからが、自分のことではないのか。
- P. 201 [父とはなにか、男とはなにか]
- なにかが苦しかったり、悲しかったり不安だったりするとき。なにが、なぜ、どのように苦しかったり悲しかったり不安だったりをするのかを、言葉にしてみることって大事なんだなとあらためて思う。
- P. 203 [夫婦の危機とか、夏]
- それがどんな問題であっても、安易に一般化するのを避けて、本当はいつだって「個人」を基本にして考えなければならないのに、そういう真夜中をひとりきりでえんえんと過ごしていると、だんだん世のなかの「男全般」や「男性性」というものがこれ、本当に悪くなってくるのである。